全てに感謝するということ(神様)
全てに感謝
神様の話をします
神様は光ではない!?
よく神様は光に例えられ、悪魔が闇に例えられます
実際どう思いますか??
光とは、例えば晴天であったり、穏やかさであったりとポジティブな感じです
闇とは、荒天であったり、不安定であったりとネガティブなイメージですね
ポジティブな感じですから、人は毎日そうだったらいいなって思います
毎日お天気が良くて穏やかな日だったらどんなに幸せか、、、
「だから、あぁ神よどうか毎日が晴天でありますように」(ポジティブにしてください)と願います
ですが、よくよく考えてください
毎日が晴天であったら、雨の降らない作物は育たず土地は干上がり、あっという間に水不足になります
大げさだと言うのなら、そこに少しだけ闇を足しましょう
「おぉ、神よ、晴天はもういいから少しだけ雨を降らせてください」と
そしたら、時々雨の日もあって作物は育ち、地は潤います
あれ?不思議じゃないですか?
ポジティブだったはずの光が気づけばネガティブになってしまい、
今度はネガティブだったはずの事をポジティブと考えてるんです
土地によっては太陽を望んだり、雨を望んだりと様々です
ポジティブもネガティブも同じ立場でバランスをとっています
ポジティブもネガティブも本当は無くて
何事も偏り、都合が悪くなる事がネガティブになるという事なのでしょうね
光ではなく、光と闇その両面を持ってバランスをとっているのが神様です
もっと言えばこの世の”全て”は神そのものです
“良い”事ばかりだと人は慣れてしまい、それを”良い”と感じれなくなってしまいますが
悪い事があれば良い事が”良い”事と認識できます
悪い事があるからなんです
まさに”お陰様”です
さっきの作物の例の様に、良いも悪いもどっちもあって丁度いいんです
困った時の神頼みという言葉がありますが、
それは実はナンセンスな言葉で
困った事そのものも神の一面であるという事がわかったかと思います
悪はない?
全てが神というのであれば、悪はないのか?
一言で言えば”ない”となりますが
人の視点でみればあります
善悪は熱い冷たい、高い低いと同じように相対的に存在していて、あくまで感覚的なものにはなるのですが、
神様の性質上、光が深まれば闇も深まります
どちらか一方だけが強いという事はありません
人(個人レベル含めて)がどの位置にいるかにもよって自分が不快と感じる事は仮に悪として扱われます
でも実際それは、
ただ自分の周波数と違うだけなのかもしれません
この世の悪は人の価値観の底辺から見れば悪とは感じられません
先ほども書いたように人は慣れます
悪境に長く住めば環境に慣れてしまい、悪い習慣を悪いと思わなくなります
その時点で悪は消えます
普段どこに住むか、常日頃どういった生き方をするかによって
悪を感じる様になります
その逆も然りで、善も慣れれば当たり前になります
より強い善に向かう事も出来ますが、まずは小さな善に慣れる事からじゃないと急に大きな善は出来ません
どのような行為にしても
例えその行為が”悪”だったとしても
その動機が”善”であるのであればそれは善寄りの行いです
神様は善を強めたい?
本来人は本能的に善を目指すように作られています
慣れ、挫折、雑念によって本能が機能しにくくなる事はありますが
基本的には向上です
人も神の一部ですから、もしかしたら神様は善の力を強めたいのかって思いますが、そうではありません、人が善を深めれば深めるほど、相対的に悪も深まるのですから
神様は善ではなく、世界を広げていると考えてもよいでしょう
あえて悪を広げる必要はなくて、善を広げれば結果的に悪が広がります
善も悪も全てが神の性質なので
その中で生きている私たちは物事にいちいち一喜一憂するのではなく、
すべてに感謝をささげ、すべてを受け入れる覚悟で
神様のゆりかごの上で安らかに身を任せておけばよいのではないでしょうか
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