精神疾患との健全な付き合い方
HSPや双極性障害とかいろんな情緒的疾患があるけれど、今回はそんな「ハンデ」との付き合い方を考えてみます
それが先天的な問題なら難しいと思いますが、後天的なものなら治す事だってできるんじゃないかな、あるいはうまく付き合っていく事もできるんじゃないかなって思います
これは個人的な意見だし、きっとこれを読むと気分を害する人もいると思います
それが出来ないから辛いんだって声も聞こえてきそうです
あくまでも可能性として、こうじゃないかな?って考えている事をシェアします
まず、後天的なハンデは環境の影響を受けていると考えられます
食生活とか腸内環境とかも大きいでしょうが、今回はそういったのは置いといて
思考に限った内容で考えてみます
ハンデがある人はそのハンデを認めている事を前提で
「そのハンデのせいで〇〇できない」とか「このハンデのせいで私は辛いんだ」とか言ってしまってはいないでしょうか
これは、悲劇のヒロインモードへ突入してしまい、
そんな私は可哀そうだ、辛いのは仕方がない事だ、だから周りのみんなも気を使ってよ
といったように、ハンデを武器に知らず知らずのうちに周りからエネルギーを吸い取る行動になってしまいます
このハンデを武器にしてしまうと、治すことは困難になってきます
何故なら、ハンデが自分にとってメリットになってしまっているからです
無意識化でメリット化したハンデは同情してくれる人や理解してくれる人からはエネルギーを吸い上げ、同情してくれない、わかってくれない人がいるとほらね、誰もわかってくれない、自分は辛いんだとより強力に考えてしまいます
これは悪循環です、どちらにとってもハンデを強化する働きが生まれています
ならどうしたらいいのか?
一言で言うと「そのハンデの中でどう行動するかを考えたらいい」と思います。
ハンデで辛いのは仕方ないとして、そういったハンデを理解した上で何ができるのか、どう行動するのか、前に進む方法を考えるんです
100%うまく出来なくてよくて、昨日よりも今日1%うまく出来たな、今日はここまでは出来たなって、今日はうまく出来なかったけど、明日はうまく出来るといいなと言ったようにハンデのせいで出来ない事に目をやるのではなく、ハンデの中でも出来た事に目を向けるんです
それが出来たら、きっといつかはハンデをハンデと思わなくなっているんじゃないかなって
もちろん既に頑張ってる人もいます
辛いのにえらいな!そういう人達には頑張れって応援したくなります
謎かけを1つ思い出します
「私の名前を呼んだ途端、私ではなくなってしまうものなんだ?」
答えは「沈黙」です
沈黙は沈黙と口にした時点で沈黙じゃなくなります
このように少し崩すだけでその物じゃなくなるという理屈でいけば
出来ない事がハンデなら、少しでも出来るにすればハンデはハンデじゃなくなります
三脚の足を一本外すだけで三脚として機能出来ないように
ハンデという三脚の足を一本でいいので外せばそれはもう機能を失います
そのハンデをあえてそこに置いているのか?
本当にそのハンデはまだそこにあるのか?
自分自信を疑ってみてください
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