タイ古式マッサージというもの

タイ古式マッサージというもの

最近街を歩くと「タイ古式マッサージ」と書かれた看板をよく見かける様になった。
一度は聞いたことがあるという人も少なくはないと思う。
しかし、それがいったいどういったマッサージなのかを知っている人はどれくらいいるのだろうか。テレビでは罰ゲームとして扱い、年代によってはニヤリとほくそ笑む人もいるかもしれない。
古式というだけあって古くから伝えられ、続けられてきた伝統のマッサージ。時代によって伝えられ方も広まり方も変わってきて、いろんな形を経て今のタイ古式マッサージがある。
タイ古式マッサージがどこでどういう風に行われてきたのか、どういったマッサージなのか、何故今タイ古式マッサージなのか、簡単な歴史的背景も含めて伝えていきたいと思う。

タイ古式マッサージの起こりは意外にタイではなくインドであり、今から約2500年も昔の事だ。皆さんも御存じのあの仏陀(お釈迦様)が生きていた時代。そしてその仏陀のサンガへ入り仏陀と共に歩んでいた人物、後に医学の父と呼ばれる人、その人がタイ古式マッサージの生みの親となったシヴァカ・コマラパ(異読有り)先生である。彼は優れた医学の知識を持ちサンガの筆頭医師として活躍していた。ある時仏陀(覚者)の体と他の弟子達の体とでは何かが違う事に気づき、その違いが何かをつきとめ発見したのが体に流れるエネルギーライン「セン・プラターン」だと言われている。このセンに歪みがあるとその中を通る「風」が滞り、病気やコリを引き起こし、逆に歪んだセンを指圧やタッピングで刺激し、ストレッチで伸ばし整える事で痛みを解放する。タイ古式マッサージで最も重要な要素の1つである。つまりタイ古式マッサージとは簡単に言うと、体のセンを治し風を通すことを目的としたマッサージである。センは全身に通っており主要なセンのほとんどは足元を通っている為、肩が凝っている場合でも足のセンの歪みを治すだけで肩を触らずにそれが改善する事もある。逆に肩だけほぐしても他のセンが歪んでいればすぐに元に戻ってしまうこともある為、一般的に行われているタイ古式マッサージでは必ず全身をほぐしていくスタイルを取っている。いろいろなスタイルはあるが、タイ古式マッサージは時間をかけた全体の流れを通して一つとなると私は感じている。現地では6時間やそれ以上の時間をかけて行う事もあり、いわゆる普通のマッサージとはジャンルが違うのではないかと思う。

その後サンガの中で修行僧によって広められたタイ古式マッサージは仏教と共にタイへ伝えられたと言われている。具体的にいつという資料は残っていないが、少なくとも1351年から栄えたアユタヤ王朝では既に官邸医の比較的高い位置にマッサージ師という職位があり、宮廷を中心に医療として扱われていたと見られる。
仏教と共に伝わった技術はやはり仏教的な要素も強く、セラピストがタイ古式マッサージを行う事はつまり「四無量心」の実践と言われてもいる。「四無量心」とは仏教の言葉で「慈・悲・喜・捨」という4つの無量な心の事をいう。そちらの詳細は字数の関係でここでは省かせていただく。その他、セラピストは施術の前に簡単なお経と「オナモ」と呼ばれる祈りを唱え、タイ古式マッサージ自体はワイ(合掌)で始まりワイで終わるという特殊な流れがある。ワイの間セラピストはそこにいろんな感謝と祈りを込める。今ここで施術が出来る事、自分の体を通して人を助けられる事、その技を教えてくれた師、更にその師、如いては自分や他者、両親、地球の存在そのものまでに対しての感謝、そして目の前の人が苦しみから解放されますようにという願い。タイ古式マッサージというものは、仏教の要素が加わる事でマッサージというよりはよりシャ―マニックな儀式に近くなったのかもしれない。その為なのか、受ける人はその流れの中で「半覚半眠」の深い瞑想の様な状態に入る事が多い。西洋医学的には脳内がα波で満たされ心が落ち着くという事なのだろうが、体験してみてわかる様に何とも不思議な感覚になる。更にその状態になればなるほど指圧やストレッチも深く響き、心身が楽になっていく。

そしてもう一つの特徴として、タイ古式マッサージは二人で行うものとされている。受け手はただはいお願いと横になるのではなく、術者と受けてとが二人で息を合わせて行う。術者がワイを行う時、受け手も同時にワイを行い施術が始まる。術者は受け手に合わせて風を導き、受け手は術者に合わせて緊張を解く。心と体に意識を向けセンの歪みを探し、阿吽とまでは言わないが呼吸を合わせ進行され、最後にお互いのワイで終わる。1対1で行われる自己と他ではなく、陰陽のバランスの様に2つが1つとなって行われる。受け手も心身に意識を向ける事でそれが術者にも伝わりよりよい効果を生み出す。私はこういった事を神聖なコミュニケーションだと考えている。

しかし、そんなタイ古式マッサージは1767年のビルマ軍による侵攻によりほとんどが失われることになる。当時医学書などはヤシの葉に書かれていたが、戦争でほとんどが失われた。1837年に国王ラマ3世により多数の医師とわずかな資料が集められ改めてまとめられはしたものの、19世紀になると当時流行っていた天然痘やマラリアなどの伝染病に西洋医療が圧倒的に力を発揮し、更には学校で教えるうまい方法が見つからなかった事で徐々に衰退し始める事になる。それまで伝統医療はほとんどが口伝や師弟関係の内に自然に習得するものであった為、テキストとして学習出来る西洋医療に比べると圧倒的に理解が困難であったようだ。なんとか一般に教える事が出来る様になったと思ったら、次はタイ古式マッサージの名前を利用した売春婦が増え始め、イメージが悪化していった。

タイでは元々売春はよく行われており、アユタヤ期には制度化までされていた。しかし1960年には売春禁止法が発令され、タイでの売春行為は違法となった。それをきっかけにタイ古式マッサージの看板を掲げた性サービスを行う店が急増した。働く女性は皆修了証は取得し、それを店に掲げて行っている事が多く、この時に観光していた人達はこれがタイ古式マッサージだと誤解する人も多かっただろう。しかし、私はこれも含めてタイ古式マッサージなんだと思う。仏教僧の修行の場で行われ、宮廷という地位や名誉といった世界の中で行われ、更には性産業という欲望の渦巻く世界でも行われる。それぞれの場所によっていろいろな形となって受け入れられてきた。
タイでは伝統医療として病院でも行われ続けている。そして今その歴史を踏まえた上で近代医学にも認められ、世界中でその技が注目されてきている。近代医学は限界を感じつつあり、精神性への理解も深めつつ東洋医学へ関心がもたれてきている中、約2500年も昔に創られたものが今また改めて表に顔を出してきている。もちろん東洋医学と言えばタイ古式マッサージだけではないが、西洋医学との融合が大切だと思われる中、いろんな場所でうまく溶け合い融合を繰り返してきたタイ古式マッサージは目を向けるには十分価値がある技だと思う。
日本では癒しブームと言われる様に、癒しを求める人達が増えている。これは社会的ストレスの急増を意味している。生活は安定し欲しいものも手に入るにも関わらず、心の孤独を感じる人が増えている。人との繋がりが表面的なものになり、社会の中で自分を閉じ込める習慣がつき、どうやったらそこから抜け出すことが出来るのかわからなくなってしまっている。
私はタイ古式マッサージの中に心の自由を感じた。社会人としてIT系の会社で働き、毎日同じ事の繰り返し、お金は溜まるが将来が不安、そんな生活をしていた時電車の窓から見える朝日に感動した。毎日乗っていた電車のはずなのにその時始めて朝日の綺麗さに気づき驚いた。そしてその朝日に気がつかない周りの人達を見て悲しく思った。こんなにも世界は美しいのに、みんなそれを忘れてしまっている。当たり前の毎日が一瞬のありがたみを忘れさせている。そう思い旅に出て、結果タイ古式マッサージと出会った。それまでマッサージなんて受けたことすらなかったのに、のめりこむ様にタイ古式マッサージを通して感じる事、伝えられる事に意識を向けるようになった。
私はタイ古式マッサージをただ体の癒しとしてではなく、心の癒し、朝日や夕日、星や海を眺める時の様な静かな時間を思い出す為の手段としても考えている。
タイでタイ古式マッサージの学校に通うと多くの旅人と出会う。彼らは安く短期間で覚えられるから学校に通っているだけなのだろうか、もしかしたら旅の中で経験したいろいろな感動や刺激をタイ古式マッサージの中に見出したから、そこに心の自由を見つけたからという事ははたして言い過ぎだろうか。
シヴァカ先生、サンガの弟子達、そして仏陀によって生み出されたタイ古式マッサージはもはやそれ自体を仏教と言っていい程に、人々を救う力になっているのではないだろうか。

社会では先が見えず、日常では天災に見舞われ、心に余裕がなくなってきているその時、このタイ古式マッサージはそっと手を差し伸べて優しく受け入れてくれるのではないだろうか。

タイのお寺でお祈り中の喜楽

喜楽